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中期銅版画(1)バタイユ『大天使のように』、『死者』 

文学に対する山本の強い関心は、マラルメの「骰子一擲」の中の詩句をタイトルにしたく婚約・狂気)など、既に1969年の作品に認めることができる。が、仏文学者・生田耕作とのその後の出会いによって、山本と文学との関わりは書物という明確な場を得ることとなった。彼は、自らの翻訳したジョルジュ・バタイユ詩集『大天使のように』の装丁、挿画を山本に依頼した。これらの作品では、先に見た作品群とモチーフや様式上の共通性を認めることができる。例えば表紙絵には、《標的A》と似た同心円を腹部に持つ女性が描かれている。また、有機的な形態と幾何学的な形態が複雑に絡み合った画面構成を示す《無用者の石化した夢A》は、唯一1969年の制作であり、もしかしたら養清堂画廊での個展に出品されたものか、それに連なる作品を流用した可能性がある。この作品について生田耕作は、バタイユの〈内的体験〉の世界を視覚化したものとして高く評価している。生田の賞賛どおり山本の初期銅版画の傑作のひとつといえるだろう。 その後、1972年に私設出版社ともいうべき奢灞都(さばと)館(やかた)を立ち上げた生田は、最初の出版物としてバタイユの『死者』を出版する。その表紙と口絵には、山本が前年に制作した小さなエッチングがあしらわれた。半裸の女性が立つ姿をそれぞれ前後から描いた簡潔な画面は、それまでの複雑な構成をもつシュルレアリスム風の作品とは異なり、後年のエロティックな女性像を予告している。
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© 2025 Mutsumi Yamamoto

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